関ヶ原は、岐阜城攻めの時の話である。
ご存知のように戦国の軍隊において使番とは、
馬術に巧みで、家中でも武勇優れたものに命ぜられる、大変名誉ある役目であった。
さて、福島正則の部隊には、20名の使番がいた。
その中の一人、櫛田勘十郎は岐阜城攻めのさい、下人に指物を持たせていたのだが、
この下人が合戦に恐れをなし、指物を持ったまま坂の上から下まで、
逃げ出してしまった。
合戦が終わると、櫛田は他の19人の使番たちを前に、こんな事を言い出した。
「本日の合戦で、わしが指物を持たせておいた下人が、坂の下まで逃げ下った事、
これは殿より預け頂いた指物の誇りに傷をつけ、
また、福島家の使番として、あなたがた19人の名誉をも傷つけた行為であった。
私は明日にも殿の元に出向き、
この責任を取るため御家を退転させてもらえるよう願い出るつもりであった。
しかし後々、
『あいつは岐阜城攻めで逃げた者だ。』などと言われるのも心苦しい。
そこで。」
櫛田勘十郎、福島正則に、切腹を願い出た。
「何を言っているのだ!?」
流石の正則もこれには反対した。そりゃそうだ。下人が逃げたくらいの事で、
何でわざわざ家中の優秀な侍を切腹させねばならないのか。
だいたい主君の名誉を傷つけたとかつけないとか、正則が怒ってからならまだしも、
一言も言わないうちから責任を取るなどといわれては、
主君のほうが困ってしまうのである。
正則は散々に改心するように説得した。
しかし櫛田はあくまで考えを改めない。
しまいには、「ここで切腹しなかったら自分の武士が廃る。」などと言い出す始末。
ついに根負けした正則、切腹を許してしまったそうだ。
櫛田は見事に腹を掻っ切ったそうである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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