その昔、横手五郎と言う、15人の人を一度に抱え上げる程の大力の男が居た。
ある時、加藤清正公の行列が、
道を塞いだ牛の為に立往生して居たところに通りかかった五郎は、
牛を持ち上げどかして行列を通してやりました。
その後、熊本城を築いている最中、五郎の大力を見込んだ清正公は、
五郎に石垣を築かせたり井戸掘りの仕事を任せ、
五郎はその大力を活かして他の誰より早くそれらの仕事をこなしました。
しかし、ある日清正公に、五郎はかつて、
清正公が討った天草の木山弾正の息子であると耳打ちした者が居ました。
それを聞いた清正公は、五郎は父親の仇討ちに来たのか、
それにあの大力は石垣や抜け穴など城の秘密も知っとるし、
いつか城を乗っ取られるかも知れん。
と、疑いを抱き五郎を殺す事にしました。
そしてある日、五郎が井戸を掘っている所を狙って、
上から大石を落とさせ五郎を殺そうとしますが、
それを知らない五郎は大石を何度も井戸から投げ返します。
しかし、何度も投げ込まれる石に五郎も遂に自分が殺されようとして居る事に気付き、
覚悟を決めて大声で叫びました。
「ワシを殺すなら石じゃダメじゃ、砂利ば投げ込め!」
そして五郎は井戸に生き埋めにされて、死んでしまったそうだ。
その後、城の基礎が出来上がりその後の工事の無事を祈る為に修験者が京より呼ばれ、
祈祷をしたのだが、修験者は五郎が生き埋めにされた井戸の秘密を見抜き、
「この地には二つの呪いがかかっております。
井戸に生き埋めにされた人足とその父親の呪いが。」
と言いました。
怒った清正公は、
「ならばお前が人柱となり、呪いを解いてみせよ。」
と、その場で修験者を手打ちにしました。
しかし、修験者は今際の際に、
「私を人柱にしても呪いは解けません。加藤様の家は呪いのせいで絶えてしまうでしょう。」
と言い残して亡くなったそうです。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!