文禄元年(1592)、朝鮮の役が始まり、
日本軍は続々と釜山港へ上陸すると、早速進軍を始める。
加藤清正の軍も、攻略地点への移動を開始しようとするが、
この時、日本から馬を輸送する船が未だ到着しておらず、
50人余りが馬に乗れない状況に居た。
彼らは船を待つべきか、それとも現地で、
駑馬でもいいからそれを求めて乗るべきかと相談していると、
船頭たちが、
「日本では風波悪しく、5日も10日も港から船を出せない状況のようです。」
と言うので、
これはもう現地で馬を徴収するしか無いと、馬を探したものの、あるいは敵が乗り、
もしくは荷を付けて逃げ出したものと見え、馬は一頭も見つからなかった。
かといって騎馬の士が、徒歩で軍勢に付いて行くわけにも行かない…。
と、この時現地に牛は残されていることを発見。
彼らはこれを奪い、牛に乗って進軍に付く事とした。
これを見て清正軍の中の、若く不良じみた連中は面白がり、
「方々は騎馬とは言いがたい、騎牛衆と申すべきだ!いつも馬乗りより遅いですぞ!」
と戯言をいう。
牛に乗った者たち、最初はそれに付き合い一緒に笑っていたが、
その戯言が、あまりに度々なので終に腹を立て、
「さてはお主達は冗談ではなく本気で笑っているようだ!
それならば牛の乗った者が遅いか、馬に乗った者がどれほど早いか、勝負いたすべし!」
と、決闘に及ぼうとしたところ、これを聞きつけた清正の家老たちが慌てて間に入って、
色々と扱いを入れ、
悪口を言った若者たちから謝罪をさせ、どうにかその場を無事に済ませたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!