吉継計策☆ | げむおた街道をゆく

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関ヶ原戦役の時のこと。

中川宗伴(光重)は、故前田利家の娘婿であり、当時上方にあったため、

上方よりの情報を金沢の前田家に送った。

『今度上方一面に蜂起して、

内府(家康)の味方する輩を討ち果たすべき為に、国々へ手遣いあり。
殊更丹波・丹後・若狭の軍勢数千人御領内宮腰へ兵船を進め、

大谷刑部少輔(吉継)、諸将を帥いて、此の口より、
加州へ発向の用意夥し。御用心あるべし。』

そのうちに金沢の安否をおぼつかなく思い、直接加賀まで向かったが、

越前の今庄まできたところで、大谷吉継によって捕まってしまった。

吉継は宗伴に、
「其の方、何の用があって加賀に下るのか?」
と尋ねると宗伴は、『あなた方に気をつけるよう警告するためだ。』

とは言えず、

「は、はい。今回(前田)利長が、内府の味方をするという風聞があります。

私ごときが言うのもどうかとは思いますが、
御幼君(秀頼)を見放される様でいかがなものかと思い、

さればその考えを覆し、上方(西軍)の要求に従うべきだと、
強く諫言するために加賀に下ろうとしたのです!」

吉継、これを聞いて頷き、
「いかにも御辺の言うとおり、

利長卿がもし父の遺言に背いて御幼君の秀頼公を見捨てられるのなら、

彼の行末、どう考えても目出度い事にはならないだろう。

願わくば先非を改められ、宇喜多秀家・毛利輝元と同じように、

天下の御為を成して頂きたいものだ。

もし御老母(まつ)を江戸においているため、

一筋に御忠節を行うことが難しいというのなら、

せめて金沢から動かず天下が治まるのを待っていても、前田の御家は恙無いだろう。
それなのに利長卿は軍勢を率いて小松・大聖寺の城を攻め落とし、

そこから当国に乱入するという声も聞こえてくる。
もし風聞のとおりなら、偏に前田家の滅亡を招くものとなるだろう。
例えその方があちらに行って、言葉を尽くして諫言しても、おそらくその甲斐はないだろう。
…そこで、だ。」

吉継、声色を変えて、
「其の方、ここで私のいう通りにはかりごとの書を書き、

利長卿の陣所に送れば、彼が軍勢を金沢に軍勢を引き返す事、疑いない。
その上で加賀に人を遣わし、其の方の誤り無き趣、

又は御亡父の志を継ぎ御幼君を守り立つべしと理を尽くして申し送れば、

どうして承諾しないことがあるだろうか?

これほど解りやすい理屈を、お主、
もしこの書を書くのを辞退するというのなら、

最前に言ったことは我々を欺くためのものだと判断する!
そうでないのならさあ、今ここで筆を取れ!」

そう言って硯と料紙を出した。

そんな状況で宗伴も断ることが出来ず、吉継の言うままに書をしたため、
それを利長に送った。

前田利長は、その書を見て驚いた。

間違いなく宗伴の筆跡であり、また彼は利長を謀るような人間ではない。
それがどうしてこの様な内容の書状を送ってくるのか?
利長は判断がつかず、弟の能登守、その他老臣達を集めて評議をさせた。
そして、吉田保馬一人は反対したが、その他は全員、金沢に御帰陣あるべしと諌めたため、
利長もそれを受け入れその日、軍勢を大聖寺へと後退させた。

大谷吉継計策、という逸話である。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 敦賀の人、大谷吉継

 

 

 

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