石田三成は、己の才知を誇り、常に人を見下していたが、
大谷刑部(吉継)とは親しみ深く、彼からは異見であっても聞いた。
大谷刑部は、元より知謀深き者ゆえ、
太閤秀吉にも取立てられ五奉行の列にも加わった。
そんな吉継が、ある時、三成にこのように言った。
「貴殿は常に金銀を貴く思い、人に対しても、
金銀を与えさえすれば何事も成るかのように思い、
自分の家人たちに対しても、そのようにしているように見える。
だが、それは心得違いである。
もちろん、金銀は世の宝の第一である。
だが、用い方が悪ければ害にもなり、
特に家来には別して実意を以って接しなければ、心服することはない。
実意によって服していなければ、大切の時の用には立たない。
であれば、人は使いようによるものなのだ。
主人が貧しい時は、利を与えることが出来ないため、
おのずから家来に対しても礼儀が厚くなる。
そのため、家来も主人への思い入れが深くなる。
主人が富んでおり、禄も多く与え、その他の物も快く与える家では、
家人も悪い顔はせず、主人も、それを見て心から仕えていると考えてしまうが、
家人の方は仕えている以上、この位のことはするものだと、
その待遇が過分などとは思わず、君臣共に実義薄くなり、
初めは、その家を望んで来た者でも、後には見劣りするようになり、
貧しき主人の礼儀厚き者ほどには、思い入れてもらえないものなのだ。
だが、一概にそう言えるわけではない。
貧しくて礼儀なければ心離れ、少しの困難でも家が滅びてしまう者も多い。
貧しくても、常に甘苦を分かち、
家来の風雨寒暑をも自身が受けるように思う、志深き将であれば、
困窮の中にあっても、命を惜しまず主の先途を見届ける者も有る。
源義経の漂泊に従った者達の諸行を考えてみるべきであろう。
金銀で人を使おうと思うのは、人心の離れる元だ。
何事であっても、実意には帰服するものなのだ。」
三成は、この吉継の異見を忝く思い、その誠意に起伏し心から謝礼した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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