”秀家”騒動☆ | げむおた街道をゆく

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1590年、徳川家康の後継者に最も近いとされる、三男竹千代が元服することになった。


この時、元服にあたり諱を兄秀康に習い、

秀吉と家康の字をもらう事で、”秀家”としてはどうかという案が出た。
 

しかしすでに秀家を名乗る者はいる宇喜多秀家である。


このためは銀子三百枚で秀家の名を譲ってもらってはどうかと言う案も出され、
石田三成が宇喜多秀家に交渉を試みた。

しかし、秀家は憤慨し交渉は失敗。


しかも三成と秀家の仲も一時悪くなり、

三成は以後大谷吉継に秀家に対しての諸事を相談してから応るようになったという。

そして徳川秀家は実現せず、

家康三男竹千代は、元服後父祖伝来の忠の字を継ぎ徳川秀忠となったとのこと。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 大一大万大吉、石田三成

 

 

 

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