石田三成は、近江古橋という場所にいたが、大勢の中にまぎれていた。
だが田中傳左衛門は、かねてより三成を見知っていたので声をかける。
しかし三成、
「人違いでしょう?わたしは治部少ではありません。」
と惚けた。
これに傳左衛門。
「…ご失念でしょうか?
わたしは、あなたをよく覚えております。
関白様(秀次)に仕えていた田中傳左衛門です。」
これに三成は観念し傳左衛門に捕らえられ、近所の寺へと連行。
そこから田中吉政に注進し、陣所へと向かった。
三成の姿は一尺二、三寸(約40センチ)の脇差を指し柿帷子の着物、
米5合ほどを入れた袋を腰に付けていた。
三成の脇差の目貫は金の駒であったが、裏目貫がなくなっていた。
これに気がついた傳左衛門が訳を尋ねると三成、
「私が逃亡するとき、家臣の一人がどうしても離れようとしなかった。
そこで裏の目貫を外して取らせ、
”お互い大阪城に無事入り付いたら、そこでまた目貫を合わせよう”
と言って別れたのだ。」
と。
そして傳左衛門に尋ねる。
「木工頭(石田正澄、三成兄)はどうなったか?」
「木工頭殿は妻子を刺し殺し、ご自身も自害された、とのことです。」
そう聞くと三成はこう、呟いた。
「…ざっと済んだ。」
そして、
「私がこのように落ち延びたのは、どうしても大阪城に入り再起をしたかったからだが、
このように生け捕られてしまった。」
傳左衛門は新しい着物と帯を三成に進め、脇差も指すことを許した。
これに三成は今度の一件を心静かに語った。
「百姓などの手にかかるようであれば恥辱であっただろうが、
傳左衛門のおかげで当面の恥はまぬがれた。
さあ、早く兵部少輔(田中吉政)に注進なされるが良い。
この上は首が晒されるべきものと、覚悟いたしておる。」
そうして、三成を乗り物に乗せ傳左衛門は陣所へと向かった。
この時、三成、
「これを、其方に形見として残す。」
と、先の脇差を手渡した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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