大阪城に在城中のある年、
豪雨のため、淀川の堤防が切れ、京橋口が危機にさらされた。
このままでは、大阪全体が水没するため、秀吉自ら陣頭指揮に立とうとしたとき、
決壊箇所に三成が駆けつけた。
水の勢いが強いため土嚢の製造が間に合わないのを見ると、
三成は京橋口の米倉にかけつけた。
米倉の番人に米倉をすべて開放しろと命じる。
担当の役人が飛んできて、いかなることですかとたずねる。
担当にとっては1表でも不当に処分したら切腹ものなので、顔色を変えるのも当然である。
米俵を土嚢代わりに堤の切れた箇所を補修するという。
しぶる担当に対し、太閤殿下のご命令だと強引に蔵を開かせ、
市民や足軽を指揮し米俵を決壊箇所に積み上げさせた。
この処置により市内の浸水を防ぐことが出来たという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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