大坂冬の陣が始まろうという時、
大御所・徳川家康は、真田幸村が大坂に入城したことを知り、
その兄である伊豆守信之に、駿府での留守居を命じた。
この事を、信之は、大変不本意に思い、家康に対し様々なお断りを申し上げた。
この頃、信之は書によって、再三、幸村へ異見をなしていた。
『父祖のため家のため、である。
去る庚子の乱(関ヶ原)の時には、私の身の上に変えて其の方の命を助けたのだ。
今もしお前がその時の恩義を思うのなら、速やかに切腹をすべし。
お前の息子の大介のことは、私が責任をもって引き受ける。』
しかし、幸村からの返事はなかった。
その後に、幸村は、信之の家臣である木村縫殿を密かに呼び、
大坂城内の一室において密会し、このように語った。
「私がこの大坂城にあるのは、父上の遺言を守ったというだけではない。
兄上への恩義も考えた上なのである。
今回の合戦で、秀頼公がもし御運が開かれることになれば、
私には一国を給うという御証文を頂いている。
私が仮に功を立てて一国を拝領したとしても、
それを我が嫡子大介に与えようなどと考えてはいない。
兄上の子である河内(信吉)と内記(信政)の両人の内一人を我が養子とし、
これに一国を与えて先年、
我が一命を助けていただいた厚恩を謝せんと思っているのだ。
であるからして、私がこの城に入った事は自分の栄達を思ってのことではない。
また家康公の方でも、
私が敵対したからといって兄上の領地を削るということもないであろう。
こういうつもりで私は籠城に及んだのだ。
お前は帰って、この旨を兄上に伝えてほしい。
しかし、重ねてここに来ることはならぬぞ!」
そう言って木村を返したそうである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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