毛利氏の尼子攻めの際の話、
月山富田城攻めの前哨戦として毛利が大軍で白鹿城に攻め寄せた。
大軍であった毛利だが、
白鹿城は富田城の支城中屈指の堅城として知られた城であり、
尚且つ城将は猛将・松田誠保である。そのため毛利は糧道と水の手を切って包囲した。
あるとき、よほど暇だったのか毛利側から疲労困憊する白鹿城側に矢文が飛んできた。
その矢文は、
『年経れば白髪(白鹿城)の糸も破れ果て 森(毛利)の木陰の露と朽ちなん』
毛利より尼子へと、毛利側の煽り文句の和歌であった。
だが尼子も黙っては居ない。
『安芸の森(毛利)朽葉も落ちて(←隆元死んで)木枯の 中に松田(俺様)ぞ色を増しける』尼子より毛利へ、さらにつづけざまに尼子よりの矢文が届いた。
それがこちら。
『元就は白髪(白鹿城)の糸につながれて 引くも引かれず射るも射られず』
尼子より毛利へ。
そうすると毛利から矢文がとどいた。
『尼の子の命と頼む白髪糸 今ぞ引切る安芸の元就』
毛利より尼子へ。
このような矢文合戦があったとされる。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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