耳川の大敗の後、勢力の衰えた大友家では、
この難局をしのぐため重臣たちから前当主・宗麟の国政復帰が求められた。
現当主・義統(宗麟の長男)としては面白くないが、
家臣の突き上げに負けてしぶしぶ復帰を乞う。
「よろしい。しかし家督はは義統に譲っているのだから、
自分はあくまで補佐という形にする。
だが大友の家を守るための命令には、
義統であっても従ってもらうぞ。」
宗麟は耳川以前からすでに基督教信仰に耽溺して統治意欲を失っていた。
それでも彼なりに息子と領国のため、
責任を果たそうと再出馬を決意したのであるが…。
それから5年後、義統から宗麟に宛てた書状。
「もはや父の助けはいらない。
父は自分に家督を譲っておきながらあまりに国事に干渉し過ぎる。」
中途半端な二元統治体制を敷いたせいで、
宗麟と義統は深刻な不仲に陥っていた。
「『憎まれっ子世にはばかる』という諺がある。
案外ワシも長生きできるかもしれんな!わはは……。」
老いたる豊後王は乾いた笑いを漏らした。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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