天正3年、臼杵の浦に明船が着岸し、
この時、猛虎四匹、大像一匹、孔雀、鸚鵡、麝香、
そのほか書巻の名筆、あるいは絵讃、並びに綾羅綿繍伽羅猩々緋の皮二十間つづき、
以下種々の珍宝が渡された。
天正4年の夏、南蛮国より大いなる石火矢が到来した。
肥後国より修羅を以て、豊後臼杵丹生の島に引き上げた。
大友宗麟は、大いに喜び、この大石火矢を『国崩』と号した。
然るに、誰言うと無くこの大石火矢を国崩と号したこと、
大いに不可であると沙汰された。
また、それに続いての流言には、前に渡ってきた四匹の虎も不吉であり、
日取りを以てこれを見るに、
その文字に違いが有ると言っても四匹の虎は滅ぶ日であり、
これを不吉の相であるという。
またある人が言うには、尚書に珍禽奇獣国に育たわずと伝わり、
これを育てるのは然るべからずと申した。
されば流言とは、根のない言葉が水のように流れ、世間に至る。
これを流言とも残言とも言う。
天に口無く人をして言わしむとはこれであると、諸人密かに言い合った。
しかし宗麟はこれを聞いて、
「一人虚を伝えれば万人実と伝う。
一犬吠える真似をすれば万犬声を上げて吠えるという事もある。」
そう言ってこれらの話を気にかけようとしなかった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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