されば流言とは☆ | げむおた街道をゆく

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天正3年、臼杵の浦に明船が着岸し、

この時、猛虎四匹、大像一匹、孔雀、鸚鵡、麝香、

そのほか書巻の名筆、あるいは絵讃、並びに綾羅綿繍伽羅猩々緋の皮二十間つづき、

以下種々の珍宝が渡された。

天正4年の夏、南蛮国より大いなる石火矢が到来した。

肥後国より修羅を以て、豊後臼杵丹生の島に引き上げた。

 

大友宗麟は、大いに喜び、この大石火矢を『国崩』と号した。

然るに、誰言うと無くこの大石火矢を国崩と号したこと、

大いに不可であると沙汰された。
 

また、それに続いての流言には、前に渡ってきた四匹の虎も不吉であり、

日取りを以てこれを見るに、
その文字に違いが有ると言っても四匹の虎は滅ぶ日であり、

これを不吉の相であるという。
 

またある人が言うには、尚書に珍禽奇獣国に育たわずと伝わり、

これを育てるのは然るべからずと申した。

されば流言とは、根のない言葉が水のように流れ、世間に至る。

これを流言とも残言とも言う。
天に口無く人をして言わしむとはこれであると、諸人密かに言い合った。
しかし宗麟はこれを聞いて、

「一人虚を伝えれば万人実と伝う。

一犬吠える真似をすれば万犬声を上げて吠えるという事もある。」

そう言ってこれらの話を気にかけようとしなかった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 宗麟の海・異聞、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!