宗麟の入信☆ | げむおた街道をゆく

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南蛮国よりキリシタンという宗旨が伝わり、

豊後国の府内丹生島に一寺を建立してその宗旨を布教した。
 

大友家中の清田鎮忠、田原近江守らはこの宗教に入信し、日夜聴聞した。

大友宗麟は、このことを聞いて、田原近江守を召して吉利支丹宗の事を尋ねた。
 

近江守は九州一の弁舌の人であったので、

切支丹の外道(寺社を認めない事)の仔細を、さも面白く語った。
 

これを聞いた宗麟は、

「昔、源頼朝公の仕置にも、神仏を鎮めよという内容は第一に見える。

そのような大法であるので、私も神仏を渇仰している。

所がそうしているのに、良き事はなく世の災いは多い。
そのような役に立たぬ諸寺諸社を破却するには、

外道宗でなければ成り難い。」

そう言って、切支丹に入信した。

この事について、ある年、豊後国内の社家の者が、

宗麟を調伏するという事があった。
 

この事が宗麟の耳に入ると、彼は激怒し、
「私の武運長久の祈祷などこそすべきであるのに、

そうではなく私を調伏するとは、手飼の犬に脛を噛まれるとの言葉通りだ!

事を良くしようとして返って悪くすると言うのはこういう事だ。
この事件に関わった者は、一人残らず死罪にせよ!」

そう命じたが、これを重臣である吉岡宗観が留め、

領内からの追放処分で済ませた。
しかしこの事で、宗麟の憤りは却って深くなり、

それがあって切支丹に成ったのだという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 宗麟の海・異聞、目次

 

 

 

 

 

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