長篠の合戦の時、織田信長は出陣したが、
牛久保から新城までわずか3里の距離を、
3日もかかって移動した。
これは敵を恐れているためだと、味方の上下からすら誹られたのだが、
これは信長が、敵に弱気を見せ侮らせることで、
勝利を得ようという謀であったのである。
武田勝頼はこれを見抜けなかったために、強引に攻め懸かって合戦を行った。
これは信長の智謀を、知らなかったが故である。
信長は信玄と対立した時にも、このような手立てが度々あり、
信玄を恐れた体にして俄に逃げこむなどしたが、
信玄は信長の意図を察していたため、これを追うようなこともなく、
信長が次の手を失うことも度々あったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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