天正19年(1591年)、ポルトガル領インドから日本に使節が届いた。
秀吉は、これに返書を出すとともに、返礼としていくつかの品物を用意した。
その内訳は、甲冑2領、薙刀・太刀・打刀・脇差がそれぞれ一振りずつ。
さらに小袖20枚が加わるはずだったが、秀吉がこれを北政所に見せたところ、
北政所がいたくこれを気に入り、
周囲の家臣たちも、
「インドからはたくさんの絹の品物がきたのだから、
向こうではそれは珍重されないでしょう。」
と言ったため、小袖はねねに与えられた。
なお、刀剣についても、
「ポルトガル人は刀身よりも装飾の方を気にし、価値を鑑定できるものはいないので、
送るのは無駄なことです。」
と言う者がいたが、秀吉は、
「たとえ相手に価値を鑑定できる者がいなくても、
余のような立場の者が優れていないものを、送るのは良くない。
余は日本で価値が高いと信じられている物を送ったという評判が、
永久に残るのを望んでおり、適当なものを送ったなどと噂されたくない。」
と言ってこれを退けたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく

ごきげんよう!