小田原城を包囲している豊臣軍に、
徳川家康と織田信雄が北条に一味し謀反を起こす、
と言う噂が流れた。
この時は、秀吉がいち早く二人の陣を尋ね歓談したため、噂は立ち消えになった。
が、秀吉は噂の出所を突き止めようと、
彼にこのことを報告した福原右馬助を呼んだ。
「あの謀反の噂、お前は誰から聞いたのだ?」
「木村宗左衛門が言っているのを聞いたのです。」
そこで木村を呼んだ。
「お前は誰からこの話を聞いたのだ?」
「はい!高田小左衛門が言っているのを…」
そこで高田を呼び、
「お前は誰からこの話を…」
「は、熊倉内蔵助が…」
熊倉を呼び、「お前は…」「堅田兵部丞が…」
堅田を呼、「お前は」「堀尾隠岐守が」
堀尾を呼び「お前は」「大野修理亮の家来南條主税介が」
南條を呼び「お前は」
「わたくしは織田信雄様の家臣・今泉新之丞と申す者にこれを聞きました。
彼は、『この度信雄卿は徳川殿とともに北条に密通し、
秀吉を滅ぼそうと、満々に話し合っている。』
と、語ったのです。
堀尾隠岐守は私の妹婿であるため、これに語りましたが、
それ以外の者には口外しておりません。」
「!」
確信情報。
秀吉は、すぐ信雄にこれを報告、驚いた信雄は今泉を絡め捕り秀吉に引き出した。
この今泉、忍びの上手と言う事で、去る三月に召抱えられたものであった。
片桐市正と寺西備中守が取調べ、
拷問にかけると、自分が北条氏政の忍びであり、
霍乱工作の為派遣されたと言うことを認めた。
そこで「命だけは助けてやると。」持ちかけると、
同じく北条より遣わされた忍びの名を、
ついに白状した。
すると出るわ出るわ。
横浜民部家来服部助佐、杉若越後家来服部彦五郎、筑紫上野家来大胡孫右衛門、
寺西播磨家来布市右馬助、多賀出雲家来上野喜太郎、堀門安房家来鬼石清兵衛、
斎村左衛門家来安藤助左衛門、小野木縫家来白石文次郎、
このほか各陣屋に商人と偽り出入りするもの、
等々、計十三人を絡め捕り、首を刎ね札に名前を書いて、
小田原城追手の門前に並べて晒した。
そして今泉新之丞には、その妻子を人質に取った上で金を渡し、
毎日各陣を廻らせ、出入りする商人たちを確認させたため、
これ以降豊臣軍に、忍びの紛れ込む事はなかった、
と言う事である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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