ある時、蒲生氏郷と浅野長政が、
その家来17、8人を一度に同名(同じ名字)にしたことがあった。
これを聞いた前田利家は、
「人というものが、手柄を立てたい、
よく奉公し身代を増やしたいと思うのは、
ひとえに『我が名字を打ち立てたい!』
と念願する故なのだ。
それなのにあの者たちは、家中のものを多く同名にした。
天下を取られた秀吉公の真似をしているのだろうが、
これは全く無用のことだ。
総じて一家一類というものは格別、大切なものである。
仮に我が家において同名にするとすれば、村井豊後、高畠石見、青山佐渡、
奥村伊代、篠原出羽…、といった面々であろうか。
彼らは多くの忠節もあり縁も深い者たちである。
だがわしは彼ら自身の為をもって、
そのように同名字にするような事は決して無い。」
『量産型蒲生』などで有名な同名字政策ですが、
その当時、既にこういった批判もあったことが伺える、
前田利家による同名字否定のおはなし。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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