前田利家は、豊臣秀吉の関東征伐の時、
秀吉の機嫌を甚だ損ね(秀吉に無断で無血開城したことが原因らしい)、
大変立場が悪くなった。
こうなると利家が、日ごろ出入りを許し目をかけていた者たちも、
一気に敵となり利家を非難しはじめ、
秀吉の前であからさまに利家の悪口をいうものも多かった。
利家の軍勢は1万を超えていたのに、
「前田殿のご人数は4,5千といったところだそうです。」
などと過小に伝えたりもされたそうだ。
(つまり軍役をきちんと果たしていない、ということか。)
木村常陸介重茲などは利家と兄弟のように親しくしていたのに、
そんな彼でさえ、
八王子城攻めの頃は、利家のことを秀吉に悪し様に報告していたそうだ。
こんな中でも蒲生氏郷と浅野長政などは、秀吉に向かって利家を弁護したと言う。
さて、そんな利家が秀吉との関係を修復し、再び重用されるようになると、
利家の京伏見の屋敷には、利家と関係を結びたい人々により、
門前市をなすという活況となった。
このころ利家は、
前に自分に対して悪し様に言った連中を陰で笑っていたそうである。
利家さんの生涯に何度かあったうち、最後の方の浮沈のお話。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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