奥州の仕置きに、出羽まで利家卿利長卿御父子が、起こしなされた時のことである。
衣川を越える際、
先手の人数の半分ほどが対岸に渡り着いた時、
にわかに水の量が増し、舟でなくては通り難くなった。
諸勢はみつくろって川のこちら側で立っていたところに、
利家卿が京水という名馬に乗替なさって、
かの川へ乗り入れなされると、
軍兵の上下は慌て騒いで、我先にと馬を乗り入れ、乗り入れ、
渡り始めたので、
川の勢いは川下でせき止められて、
一人も残らず向こうの岸に駆け上がった。
もし、その夜に利家卿が川のこちら側に本陣を拵えなされたら、
一揆が起こって、対岸に渡った者達は討ち取られたであろう。
昔、宇治川を渡った先陣は、家のため、身のために渡ったのであり、
今、利家卿は軍兵を討たせないと、
一命を水に溺れることを顧みず渡りなされたのである。
「なかなか古今に稀なる名大将よ。」
とそのとき見た者は言うに及ばず、
伝え聞いた人々も感じない者はいなかった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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