「主人の悪いところを諫言することは、
戦場での一番槍の功名を立てるよりも立派な心掛けである。
なぜなら、敵と戦う場合には、命を惜しんではいけないのだが、
しかし勝負は時の運。
人を討つこともあれば、人に討たれることもある。
討ち死にしても、名誉は子孫に残り、
主人にも惜しまれることは、死んでも本望である。
もし幸いに敵を討ったときには、子孫までの繁栄の礎になる。
このようなことから戦場の働きは、
生きても死んでも損がないのである。
変わって、主人の悪いところを強く諫言することは、
十中八九危ないものであろう。
なぜなら、その主人が無分別で悪を好んでいたら、
金言耳に逆らうのたとえのとおり、
諫言する家臣を遠ざけ、そばに近づかないようにする。
そうしたときに、媚へつらう者が出て、主人の回りの愚か者と話し合い、
諫言した家臣を不当に扱い讒言をする。
それを聞いた主人は、讒言を信じてしまい、
諫言する家臣を遠ざけた上、会うことすらしなくなる。
その時は、諫言をする家臣も不満を抱き、主人を見限り意見を止めて、
病気と称して、隠居を願い出るのは、
十人いれば八、九人はそのようになるであろう。
しかし、主人の機嫌の悪いのも顧みず、
忠義の道を守り、主人の悪事を止めなければ、
責任は自分にかかわってくるものだと考え、
自らの保身を顧みず、何度も諫言する家臣は、
ついに手討ちにあうか、押し込められるかになり、
妻子までも迷惑させることは間違いないことである。
これを考えるなら、戦場の一番槍は、かえってやりやすいものである。」
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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