勝頼滅んで後、東照宮(徳川家康)は甲斐を治めなさると、
「法度は信玄より用いるところを改め変える事なかれ。年貢は少なく取るべし。」
と、仰せ出しなさったので、百姓は大いに喜びあった。
小田原(後北条氏)滅んで後、
その地を治めなさる時も、また同じであった。
諸民は大いに喜び、数百年の恩義が相結ばれるに同じであった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく

ごきげんよう!
勝頼滅んで後、東照宮(徳川家康)は甲斐を治めなさると、
「法度は信玄より用いるところを改め変える事なかれ。年貢は少なく取るべし。」
と、仰せ出しなさったので、百姓は大いに喜びあった。
小田原(後北条氏)滅んで後、
その地を治めなさる時も、また同じであった。
諸民は大いに喜び、数百年の恩義が相結ばれるに同じであった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!