元亀二年毛利元就、芸州に卒去す。
嫡孫・輝元、家を継ぎ、二男、小早川隆景が家のことを執り行った。
龍造寺隆信、は念入りに世の転変を了簡した。
「その昔、大内氏全盛の時は、かの家に通じて家業を落とさなかった。
大内は既に滅んで、毛利氏中国を呑む。
我は初めより元就に志を運んだ。
元就既に卒去し輝元その跡を継ぎ、今、義昭将軍は、輝元のもとにおわします。
どうして弔い申さないでおられよう。」
かくして鍋島信生を使節とし、隆景に付いて義昭卿に通じられた。
将軍ことに御悦喜なさり、九州平均の命を隆信にくだされた。
隆景と信生は関係良好であったので、将来のことなど談ぜられ、信生は帰国された。
隆信は将軍の命を受けた後は、いよいよ弓矢の工夫を怠られることなく、
九州平治の計略の外他事なかった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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