島原の乱にて☆ | げむおた街道をゆく

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幕藩体制も整ってきた寛永14年(1637年)、幕府を震撼させる事件が勃発した。
 

ご存知、島原の乱である。

この乱を鎮圧させるため、
幕府は板倉重昌を大将とした、九州諸藩で編成された討伐軍を派遣した。
 

しかし、寄せ集めの兵であったうえ、
大坂夏の陣以降の泰平の世にどっぷりつかっていたためか士気もあがらず、
なかなか反乱を鎮めることができなかった。

家光、

「なかなか難儀しておるようだな。
長引かせると幕府の威信に関わるゆえ、しかるべき人物を中央より派遣せねばなるまい。」
 

幕臣、

「ならば老中・松平伊豆守殿が適任かと。」
 

家光、

「知恵伊豆か。それはよいが、彼でも鎮められなかったとなればいよいよ面倒じゃ。

誰か、伊豆守を補佐する者も選ばねばなるまい。」

そこで白羽の矢が立てられたのが、宗茂だった。
 

この時、御年72歳。

家光、

「乱を長引かせぬため松平伊豆守を遣わすことにしたが実戦経験が乏しいゆえ、
ご老体にはご苦労であるが、彼を助けて乱を鎮めて欲しい。」
 

宗茂、

「乱が長引いているのは、武士が泰平に慣れてたるんでおるからでしょう。
あと1、2年ほどは、乱が続いてもよろしいではございませぬか。」

冗談とも本音ともとれる言葉を残して、宗茂は一路島原へ向かった。

着陣後、さっそく松平伊豆守や現地の幕臣も交えて軍議となった。

幕臣「伊豆守殿が来られたのならば、原城も落ちたも同然。
   一気に総攻撃と参りましょう。」
信綱「・・・宗茂殿はどうお考えか?」
宗茂「原城を包囲し、兵糧攻めにするが上策かと。」
信綱「まさか、本気で乱が長引けばよいと考えておられるのか!?」
宗茂「原城に篭っている敵勢は決死の覚悟を決めておるでしょう。
   そんな相手に正面からぶつかればこちらの被害も甚大になりまする。
   ゆえに、まずは兵糧を無くさせ、
   士気が落ちたところを攻めれば容易に鎮圧できましょう。」

この兵糧攻めが功を奏し、
食料が尽きたところに総攻撃を受けた一揆勢は全滅を遂げ、反乱は終結した。

西国無双・立花宗茂の、最後の戦である。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 忠義と剛勇は鎮西一・立花宗茂、目次

 

 

 

 

 

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