立花宗茂が、十一歳のときに立花城を訪れた際のことである。
道雪は宗茂を饗応し、家臣を呼び寄せ弓を射させて見せた。
そして戯れに、「そちはまだ幼いので、弓はうまく射れまい。」と言った。
すると、宗茂は側にあった弓を引いて、
「これは弱い弓なので、強い弓をお貸しください。」
と言って道雪から剛弓を借りて射た。
四本のうち三本までを当ててみせたという。
その数十年後。
本多佐渡守が、将軍に見せるため弓の的当てを行わせた際のことである。
佐渡守は的場を通常15間(約28m)のものを、17間(約31m)にして、
射手衆に射らせてみたが、的が遠いためかさして当たらなかった。
御前は少し笑って佐渡守に耳打ちすると、佐渡守は見に来ていた宗茂に、
「一矢射て見せてやってくれまいか。」と上意を伝えた。
宗茂は「年寄りの私がお見せするのはいかがなものかと存ずるが、
上意とあれば断れませんな。」と言って立ち上がった。
そこへ周りの者たちが弱弓・強弓を5、6張差出してきたのに対して、
「弓はいずれにても良く候」と言って弓と矢を取り諸肌を脱いで矢を構え、
早矢を放つと、串の竹を射削り的の内に射込んでみせた。
周囲のものは言うに及ばず、御前も聞きしに勝る見事の手前と感嘆した。
御前より「もう一本仕れ」と言われ、また矢を放つと今度は的の星を射抜いてみせた。
満足した御前は宗茂に盃を与え慰労した。
宗茂はこの時のことを立花壱岐に、
「若年から弓を好んで使っていたが、
天下の御前で所望されるとは思いもよらなかった。」と語ったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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