江戸屋敷で病となった佐竹義宣。
死期を察し、秋田にいた家老・梅津政景に遺言を送った。
「佐竹家は新羅三郎義光公より、義宣まで二十一代を数えるが、
先祖死去のみぎりに殉死などはしてこなかった。
これは当家の手柄だ。
当世は流行のようにして、
主人が死ねば追い腹を切って手柄と思っているようだが、
佐竹家では恥ずべきことだ。
万が一、自分が死んでも殉死などは無用。
これに背けば、お家の恥辱になると思え。」
この頃、政景も病気がちであり、
義宣は彼が早まった真似をしないか心配したらしい。
義宣は、1633年に江戸滞在のまま没した。
政景は、帰国した義宣の通夜を終えると、後を追うように病死した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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