常陸から出羽秋田へ☆ | げむおた街道をゆく

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関ヶ原の後、

数世紀にも渡って支配した常陸から出羽秋田へと転封になった佐竹義宣。
水戸から出るのにも車丹波斯忠が駄々こねたりして大変だったけど、

やっとこさ秋田へ引越したらさらに大変だった。

それは新たに築く城地の選定から始まった。
候補は二つあり、一つは横手、もう一つは久保田。
この二つのうちどちらに城を建てるかで、

家中が真っ二つに割れてしまったのだ。

横手を推すのは先代義重以来の宿老達。
久保田を推したのは義宣と子飼いの若手達。

宿老達曰く、
「横手の地はまさしく天然の要害にて山城を作るにはもってこいの場所。
加えて、家祖新羅三郎義光様が後三年の役の際にご活躍された縁地でもある。
まさに義光様の思し召しだ。」
と、熱烈プッシュ。

が、結局は港も近く土地も広大であり、

街道や城下町を作るに適した久保田で城を建てることになり、

わずか1年あまりで久保田城は完成したという。 

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 今の世に稀な律義者・佐竹義宣、目次

 

 

 

 

 

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