佐竹義宣の正室・正洞院は、かの那須与一を輩出した下野那須氏の出である。
しかし、輿入れから5年、1590年に死去してしまった。
死因は伝わっていない。
そのため、後世に様々な憶測を呼ぶこととなった。
秋田の巷説としては、
結婚当初の義宣は文弱であり、
名門武家としてのプライド高い正洞院がこれを諌めるべく自害した、
と伝わっている。
義宣はこの薄幸な夫人を弔うため、秋田の手形に正洞院を建てた。
江戸期には多くの参拝者で賑わったらしいが、
明治に廃寺となってしまい、現在は草深い境内跡が残るばかりである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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