鍋島の行列がみっともないのは、かなり昔からの伝統だったみたいね。
ラスボスの島津攻めの際、龍造寺軍の行軍が乱れがちになっているのを見て、
「龍造寺は軍法がなっておらずけしからん。罰しましょう」
と奉行が進言したのに対し、
「龍造寺はアレで勝って来たのだ。アレこそが龍造寺の軍法。
要は勝ちゃあいいんだよ。」
とラスボスは龍造寺の名代、鍋島直茂をかばったと言う。
そのせいか、直茂はラスボスのコトが好きだった様だ。
ラスボスが吉野で盛大な花見の会を催した時、
お供として参加したのは直茂の息子・勝茂。
直茂は既に隠居していた為、
鍋島家当主として勝茂が参加するのは当然だったのだが、
直茂は自分がこの花見に参加出来なかったコトを滅茶苦茶悔しがったと言い、
隠居所の襖絵として吉野の風景を描かせて、
参加出来なかった吉野の花見に思いを馳せた。
直茂は自室の襖絵のみならず、居間にも吉野の絵を飾り、
吉野尽くしの隠居所となったのだという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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