気のきいた者が一人もいないから☆ | げむおた街道をゆく

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鍋島助右衛門茂治殿の近所の寺で、説法会があり、
助右衛門の娘は、それを聴きに出掛け、
そこから若党と駆け落ちした。
 

いくら探しても、行方がまるでわからなかった。
 

しばらくしてから、肥後藩の家老に妾奉公してるらしいとわかり、
当家より何度か交渉に行ったが、なかなか引き渡さない。
 

そこで、成富兵庫茂安を交渉人として、
加藤清正殿にお目にかかり、

兵庫、「助右衛門の娘を渡してください。」

清正、「鍋島でその娘がなにをしたのか知らぬが、
当家を頼って逃げ込んで来た者だ。
武士として渡すわけにゆかぬ。」

といっこうに承知なさらなかった。
兵庫はそこでかたちを改め、

兵庫、「朝鮮では当家から御助勢をいたしたことがありました。
そのとき主計頭殿は、

礼としてなにかあるときはなんでも協力しようと仰せになられました。
今がそのとき、助右衛門の娘をお渡しください。
それとも朝鮮での一言は無になさいますか。」

と詰めよった。

清正、「そこまで言われてはやむをえぬ。
身柄は渡すが、命だけは助けてやってくれ。」

と折れられたので、仰せを伝えることを約束し、娘を受け取り帰った。
娘は帰国のあと自害を命じられ、
助右衛門と、その子息織部殿は、家内不行き届きとして切腹ときまった。

その決定を伝える使者が助右衛門の邸宅に行くと、
助右衛門と織部は碁を打ちながら、

助右衛門、「ごもっともな処断。承知いたします。
とりあえず碁の勝負がつくまで、
しばらくご観戦していてください。」

と言って顔色ひとつ変えず碁を楽しみ打ち終わった。
そこへ騒ぎを聞きつけた助右衛門の家来十八人が、

「われらも死出の旅へお供いたします。」

と駆けつけた。
使者は、その申し出を、

「それはいかがなものか。」

とためらったが、助右衛門殿の子息織部殿は、
使者にかまわずさっと庭におり立ち、

織部、「覚悟を決めた者どもでございます。
わたしが介錯いたします。」

と言うや、たちまち十八人の首を斬り落とし、
最後は父子ともども見事な切腹をとげてみせた。
 

邸内を流れていた川は20人の血で紅に染まったので、
それ以降、人々は血川と呼んだとのことだ。
 

助右衛門殿の末子二人は、乳母たちが抱いて逃げた。
蒲原善右衛門と、蓮池の鍋島又兵衛が、そのときの二人である。
織部殿の息子は、後に鍋島源右衛門と名乗った。

この事件について直茂公は、
「気のきいた者が一人もいないから惨劇となる。」
と、悲しまれたとのことだ。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 佐賀の雄・鍋島直茂、目次

 

 

 

 

 

 

ごきげんよう!