前田家定処断☆ | げむおた街道をゆく

げむおた街道をゆく

信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

肥前国佐留志の前田家定は、龍造寺家の傘下に収まった武将である。
朝鮮の陣の頃、前田家定は既に老齢であったため、

彼の息子たちが鍋島直茂に率いられて朝鮮へと渡っており、
家定は国元に残っていた。

このころ名護屋城には、豊臣秀吉をはじめ徳川家康前田利家など、

全国の大大名が名護屋城に在陣していたことは知っての通りだが、
前田家定は同じ苗字のよしみを使い、前田利家に兵糧や進物をおくり、

名護屋の陣屋で利家と対面した。
 

当然直茂には無断で、である。
 

利家から濃茶や名刀を戴き、意気揚々と佐留志に帰った家定であったが、

これを聞いた直茂は家定の勝手な行為を厳しくとがめた。
 

するとこの家定、何を思ったのか肥前から加賀へ移り住もうと思い立ち、

海路で加賀へ出発したのである。
 

しかしながら航海は失敗し、家定は肥前国の海岸へ漂着し、

加賀へはたどり着けなかった。
 

在陣中にこれを知った直茂は烈火のごとく怒り、

ついに家定は処断されてしまったという事である。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 佐賀の雄・鍋島直茂、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!