肥前国佐留志の前田家定は、龍造寺家の傘下に収まった武将である。
朝鮮の陣の頃、前田家定は既に老齢であったため、
彼の息子たちが鍋島直茂に率いられて朝鮮へと渡っており、
家定は国元に残っていた。
このころ名護屋城には、豊臣秀吉をはじめ徳川家康前田利家など、
全国の大大名が名護屋城に在陣していたことは知っての通りだが、
前田家定は同じ苗字のよしみを使い、前田利家に兵糧や進物をおくり、
名護屋の陣屋で利家と対面した。
当然直茂には無断で、である。
利家から濃茶や名刀を戴き、意気揚々と佐留志に帰った家定であったが、
これを聞いた直茂は家定の勝手な行為を厳しくとがめた。
するとこの家定、何を思ったのか肥前から加賀へ移り住もうと思い立ち、
海路で加賀へ出発したのである。
しかしながら航海は失敗し、家定は肥前国の海岸へ漂着し、
加賀へはたどり着けなかった。
在陣中にこれを知った直茂は烈火のごとく怒り、
ついに家定は処断されてしまったという事である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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