道雪の葬儀☆ | げむおた街道をゆく

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大友家の重臣で、あの武田信玄に、

『一度会ってみたい。』

とまで言わせた勇将・戸次道雪は、
柳川状攻めの最中に病死する。

時に天正13年(1585)9月11日であった。

さて、その遺言に言う。

『我が死体は、立花城にて葬るべし。
五具足を着せ、長刀を添えて、立ったままの形にするべし。』

死してもなお大友家を守らん、との気概であろう。
よって道雪の遺骸は、僅か一千名ほどで筑前の国立花の城に送られた。

その道中には、大友家に対して異心を持つ、

野心の武士も多くあったが、彼らもこの葬列は、
『あの道雪の開陣である。』

と心得、葬列に対し矢の一本すら射られることはなかった。

さらに葬儀の時になると、日頃から敵対していいた城主らも弔いの使者を遣わし、

立花城において等しく道雪の死を悼んだ。

この事に人々は、

『道雪の死後にいたって、それまで敵対していた人々が、

和睦の心を通ぜようとしている。
これは尋常のことではない。』

と、一様に深く感じ入ったとの事である。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 雷切り・立花道雪、目次

 

 

 

 

 

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