大友家の重臣で、あの武田信玄に、
『一度会ってみたい。』
とまで言わせた勇将・戸次道雪は、
柳川状攻めの最中に病死する。
時に天正13年(1585)9月11日であった。
さて、その遺言に言う。
『我が死体は、立花城にて葬るべし。
五具足を着せ、長刀を添えて、立ったままの形にするべし。』
死してもなお大友家を守らん、との気概であろう。
よって道雪の遺骸は、僅か一千名ほどで筑前の国立花の城に送られた。
その道中には、大友家に対して異心を持つ、
野心の武士も多くあったが、彼らもこの葬列は、
『あの道雪の開陣である。』
と心得、葬列に対し矢の一本すら射られることはなかった。
さらに葬儀の時になると、日頃から敵対していいた城主らも弔いの使者を遣わし、
立花城において等しく道雪の死を悼んだ。
この事に人々は、
『道雪の死後にいたって、それまで敵対していた人々が、
和睦の心を通ぜようとしている。
これは尋常のことではない。』
と、一様に深く感じ入ったとの事である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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