井伊直政と松平康重☆ | げむおた街道をゆく

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第一次上田合戦に徳川方は討ち負けていたので遠州へ軍使を送って加勢を願った。

 

これを聞いた家康公は、

「早く軍を引き取らせよ。」

と命令を下した。

 

けれど上田の城兵が食いついて戦を仕掛けるので、

軍を引き揚げることが出来ないでいた。

 

そこで家康公は、井伊直政と松平康重の両名を遣わした。

 

2人は五千人の軍勢を率いて、天正13年9月13日に上田表に着陣した。
先手の恥辱を晴らそうと思ったのか、二十日余り対陣して度々軍を仕掛けたが、
城中からは一人も出てこず取り合わなかった。

 

そこへ、真田昌幸が越後へ加勢を依頼したことと、

武田勝頼の舎弟である龍峯という住職を取り立てて、
一揆を起こそうと謀っていることを、

忍びの者から聞いた井伊直政は言った。

「越後から加勢を出すほどなら大軍であろう。
そして一揆が所々で起こるとなると、昌幸は思慮深い大将なので、

いかなる謀をしておくかも測り難い。
味方の軍勢は遠く路を隔てているし、

その上負け軍にて気疲れもしているし戦ったところで利もないだろう。
家康公からの命令は、我々二人に人数を引き揚げて帰るようにとの仰せだ。
このまま戦を企て人数を討たせるなど詮もないことだ。」

諸大将に談じ、これを受けた大久保忠世が言った。

「それならば押さえの兵として、

我が弟の忠教をこの国に残しておくのが良いであろう。」

兄から命じられた忠教は言った。

「某は所領に望みがあって残るのではない。

主君の為とあれば兄の命令に従ってここに残りましょうぞ。」

忠世は大いに喜んで井伊と松平に告げた。
小諸の城に大久保忠教を入れ置き、申し渡した。

「信州の先鋒衆の諏訪・保科・知久・遠山・下条・大草の面々は、

居城・居館に籠り大久保平助の催促に従うように。」

そして11月、徳川勢はことごとく陣払いし上田表から引き取った。

 

それに際して段々に備えを立て、

井伊直政と松平康重の両人が殿としてはるか後ろから引き退いた。
城中から追ってくる相手と一戦する為であった。
これを見て、真田昌幸の家臣が言った。

「徳川勢力は既に人数を引き揚げているが、

井伊と松平は僅か四、五百騎の軍勢で先手に離れて引き退いています。
これを食い止めるならば討ちとどめることが出来ましょう。」

昌幸はこれを制して言った。

「以前に寄せ手の大久保が軍兵を引き揚げようとしたことが何度かあったが、
我が軍に食い止められて軍を帰すことが出来なかった。
今回はいまだ若年の井伊と松平周防守が来て軍を仕掛けている。
その軍立てを見ると以前の寄せ手などとは大いに違う。
その上、井伊が近藤登之助をはじめ遠州で名のある者や、

武田より降った者が多くきている。
また、井伊も松平周防守も若年でありながら名高い剛の侍である。
今日の退き口の立て方を見ても尋常の者ではない。
彼らを少勢だからと軽はずみに打ち出たらこちらが不覚の負けを取るに違いないわ。
決してこれを追ってはならぬ。」

はたして、井伊と松平の両人は、やすやすと軍勢を引き揚げ、遠州へと帰って行った。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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