男であったら今弁慶☆ | げむおた街道をゆく

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第一次上田合戦でのこと。

 

小縣上田原染ヶ馬場に、徳川軍の大久保、鳥居勢が出撃し、

真田信幸の軍勢と合戦と成った。

 

この時、真田勢は劣勢となり、昌幸は、

禰津助右衛門尉に下知して三百騎あまりを救援に向かわせる。
これに森右近の軍勢が二千騎あまりにてかかり来ると、

救援軍の加澤世間兵衛は、大薙刀を水車に回して、それと戦った。

しかし鳥居軍中根の二百人あまりがこれに駆け寄り、加澤は取り囲まれた。

この時、加澤の妻が上田城大手の櫓より、

敵に囲まれている旗印が、

夫の用いるすわまに鷹の羽の紋であることに気がついた。

彼女はこの櫓に禰津主膳が置いていた馬に打ち乗ると、

粥を飯籠に入れさせ、”はた織”という下女に、これを持たせ召し連れ、

染ヶ馬場へと突撃した。

そして敵兵ニ百人余りの中に割って入ると、

夫婦一緒に成って敵を四方へと追い散らし、
小高い場所へと上がって散らばっていた兵を集め粥を与え、

殿して城中へと引き入れた。
この女房、城に帰って自分の体を見ると、

鉄砲の弾が五つ当たっていた。

彼女は禰津の一族、別府閑斎の娘であった。

父は信州において隠れなき剛の者であったが、
昌幸は、

「さすが別府の娘である。男であったら今弁慶とでも呼ぶであろう。」

と賞賛した。

 

そして上田合戦が終わった後、小縣郡西田澤において、

五貫文の知行が与えられた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 表裏比興の者・真田昌幸、目次

 

 

 

 

 

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