天正12年正月上旬の頃のこと。
当時、白井長尾の家中には百人衆と言う、歩行の武士集団があった。
正月に、沼田衆の林太郎左衛門、吉野太郎右衛門、吾妻衆の井上金太夫は、
私曲あって沼田の真田家から立ち退き、白井に属し、
この百人衆の一員となった。
ところが程なく真田家への忠信を立てて故郷に帰りたいと思うようになり、
3人は談合して、この事を真田家の高橋右馬允へ申した。
右馬允がこれを金子美濃に相談すると、
「その方、上田へ参りこれを注進せよ。」
という事になり、
高橋は丸山土佐守、木村戸右衛門を通して、
真田昌幸にこれを申し上げると、昌幸は非常に喜び、
「神妙の事である。卒爾無きように計るべし!」
そう仰せになった。
そこで高橋はお暇を乞い戸鹿野へと帰った。
かの3人の者たちは、指示に従い百人衆の朋輩たちをたぶらかした。
「沼田の鹿野には有徳(裕福)の者が多い。
夜討ちして金銭を奪い取ろうではないか。」
そうして130人が申し合わせ、
林、吉野、井上が案内して戸鹿野へと忍び入った。
しかし、かねての計画通りであり、彼らが侵入した所で橋を外し、
四方より取り巻いて襲撃した。
このためまたたく間に120人余が討たれ、
水練の達者であった5,6人のみが助かり、白井に帰ることが出来た。
この忠節により、高橋右馬允は昌幸より知行を賜った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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