天正6年(1578年)、
上杉景勝は武田勝頼に上州沼田を譲ると約束し、
勝頼は真田安房守(昌幸)に、これを受け取らせに向かわした。
しかし、昌幸が沼田に入ろうとすると、
沼田城主の沼田平八は使いを以ってこのように申し遣わした。
『この城は先祖より代々、我々が保ってきた城であり、
簡単にお渡しすることは出来ない。
どうぞお帰りあるように。』
これに昌幸はこう返答した。
『沼田の城地をあなた方が代々保ってきたのは事実でしょう。
しかしながら私は、
武田勝頼の恩賜によりこちらに罷り越したのです。
もしこれにご意見があるのでしたら、
沼田を譲ると約束した上杉景勝に対し訴えるべきです。
我々に言うべき事ではありません。
しかし、お渡し下されないのであれば仕方なし。一戦仕らん。』
こうして沼田の所々にて戦闘が行われたが、そのうちに昌幸より沼田城に使者が送られた。
『このように日々攻め合いをするのは詮無いことであり、
我ら双方にとって全く利がありません。
ここは曲げて、城をお渡しいただけないでしょうか?
もしお渡し頂ければ、沼洲に新しい城を作り、
そこをあなたに差し上げましょう。
その上今の沼田城下の町も、沼洲に引っ越しをさせ、
新たに町を作らせましょう。
もし、この事もご承知無いというのなら、近日中に沼田に乱入いたします。
この是非を申し述べていただきたい。』
これに沼田平八は、運の末の悲しさというものだろうか、
この提案を誠であると信じてしまい、
拒否すること無く開城した。
すると真田昌幸は、
「虚に乗じるのは疾風の如くせよという!」
そういって開城した沼田城に、息をも尽かさず押しかけ攻め立てた。
これに沼田平八は、
痛ましくも先祖伝来の地から没落していったのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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