品川狼介☆ | げむおた街道をゆく

げむおた街道をゆく

信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

ここに石見国住人、品川半平という者があった。

彼は、吉川元春の陣に進み出てこのように言った。
「この頃、関東には勇士があると言いますが、

西国には鹿(山中鹿介)を討つ人もいない。私が一勝負仕り、
軍の睡りを醒しましょう!」
そう声高に訴えた。

彼の形相を見ると、身長は七尺(約212センチ)を越え、

両眼は鬢(耳ぎわ)まで裂上がり、手足は熊。

目、口は虎に異ならなず。

鉄をくり抜き、鐘の如くなる鎧を着、

六尺(約180センチ)あまりの太刀を帯び、
彼が大将である吉川の陣に望んだその姿は、そのまま仁王の荒作り、

又は当八毘沙門が貴見城の門に立って、

修羅を攻め給う姿もかくやと怪しまれ、軍使悉く身を跪いて恐れをなした。

この時、吉川駿河守元春の長男・治部少輔元長は、

その頃世に隠れ無き形相の人物であり、

人は皆「鬼吉川」と呼ぶほどの血気にて、

仁義も勇も逞しき勇将であったので、彼は半平を一目見て、
「さても汝の形相は、いかなる天魔鬼神も挫き、

孟賁(秦の武王に仕えた勇士)の骨を砕くべき血気なれば、

鹿介を討たん事容易いであろう。先ずは受領を進むべし。」

と、即時に『狼介勝盛』と名を与え、

「早速敵陣に赴き、勝負を決すべし。」

と下知された。

狼介は喜び勇み、勇者の面目、

且つ鹿を取ると名が明らかなのは自明の理であり有り難しと打ち笑い、
鋒より長い鑓を取って、大場谷の坂に望み、

囲いを抜いて三度、

「誰人にても一人これに出給え!」

と、大音にて呼んだ。その声は余りに高く、

谷峰を震わし山彦が響いて聞こえぬ所無かった。

城中では驚き、

「これは如何なり、獅子象王の呻声か、事々しき音声である。

早く出て事の仔細を聞くべし。」
と下知をした。

 

そこで今川鮎介が飛ぶように走って見てみると、

そこには閻魔大王に些かも劣らない大男が、
三間ばかりの鉾を携えて立っていた。

今川は驚き、

「汝何者ぞ、化生か鬼か、名乗れ!」

と言うと、狼はこれを聞くとあざ笑い、
「我は鬼神にも非ず、石州益田住人、品川狼介勝盛という者である。

御辺は誰か、名乗れ。」

 

鮎介はそう言われるとカラカラと笑った。

「世の中に名前というものは多いが、その中で狼と名乗るのは片腹痛い。

御辺は定めて鹿介と勝負を決するために、
名字を変えて来たのだろう。

しかしその身が獅子介、虎介と名乗ろうとも、

鹿は現在、日本国に於いて万人が指し示す大勇であり、

殊に勝負の十方を研磨し、当たる敵に勝たぬという事はない。
今日、そんな鹿介に勝負を望むということ、嗚呼、御辺の運の尽き、

滅亡を招かれたその謀、無惨である。
暫くここで待ち給え、鹿にこの事を伝えてこよう。」

そういって鮎介は山中に駆け入り、山中鹿介幸盛に、かくかくと告げた。

 

鹿介は目を閉じ黙然とし、上帯に太刀をおさめ、

十文字の鑓を取って提げ、已に出向こうとした。

 

これに鮎助は走り寄り、鎧の組紐に取り付いて、
「不覚なり。御辺は大将の身として、一騎の勝負は避けられるべきだ。」

と鑓を取って控えさせると、

 

鹿はあざ笑って、
「敵も我も同じ人である。例え本当に鬼だったとしても、

どうしてそれを見て逃げるだろうか。
況や同じ人間であれば、私の鑓に先に懸って、いわゆる夏の虫と成るだろう。

凡そ勝負には、勝つも負けるもここにあり。」

そう言って胸をホトホトと叩いた。

これに鮎助は打ち笑って、

「もはや勝ったな、鹿殿。」

と誉め称え馬に乗せた。

鹿介は急ぎ谷口に表れ出て、
「いかに狼殿、鹿は大将の身であるから一騎の勝負は不覚で有るのだが、

末世まで勇士の名を立てるために、ここまで出てきた!

さあ、一鑓仕らん!」

そういうと狼聞いて、

「さても、勝負を決するのであれば太刀打ちの勝負をしよう!」

と、鑓を投げ捨て太刀を真っ向にかざし躍り出た。

その形相はただ、閻魔大王が呵責の鬼を怒るのもこの時かと、
訝しむほどの形相であった。

 

上の山には寄手大将吉川小早川、左右の峰には伊予河野、備中の三村、

大旗小旗を靡かせ、

「狼、鹿取れ!」

と声援し、その声はまた、

大地を震わし大山が裂けると錯覚するほどであった、

鹿も馬より下りて太刀討ち合いを暫く戦った。

その間狼は、右の小鬢に痛手を負い流血、その血が目に入った。
このため、

「今は叶わじ。」

と思ったのか、太刀をカラリと捨て、

無手となって組み付き、鹿を取って引き敷いた。

 

幸盛は元来気早なる勇者であったので、下より二刀差し通し跳ね返すと、

狼はまた下になって鹿の向こう脛を突き、
双方手負いとなって別々にわかれた。

 

しかし狼は深手であり、終に空しくなった。

さても世は定めなき習いであるので、

鹿を取るべき狼が鹿に取られること無惨なりと、

敵の毛利勢は眉をひそめて、音も無かった。

その後、何者が書いたのか、大場谷に落書が立った。

『狼が 鹿に取らるる世となれば 負色見ゆる勝久の陣』

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 山陰の麒麟児・山中幸盛、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!