山中鹿之助は、往古、武辺場数類ない武勇の武士であった。
ある日、合戦が済んで、その日初陣の若武者二人が、
鹿之介の前に来て、先ず一人が尋ねた。
「私は今回の初陣で敵と鑓合わせをした時、兼ねて思っていた事とは違い、
敵に向かっては先ず震えを生じ、目指す敵をしっかりと見ることも成り難く、
仕合せに踏み込み、鑓を付けて首を上げたものの、
その鎧の縅毛(小札を結び合わせる糸や革)の色も覚えていません。
初陣というものはこういうものなのでしょうか?」
鹿之助はこれを聞くと、
「今後も随分と努力し給え。あっぱれ武辺の人と成るだろう。」
と答えた。
もう一人はこう申した。
「私はそのようには思いませんでした。」
目指す敵と名乗りあい、敵は何縅の鎧で、何毛の馬に乗っていた事、
鑓付けした場所、その他鮮やかに語った。
これにも鹿之介は同じように答えた。
この両人が席を立った後、傍に居た人がこの論を鹿之介に尋ねた所、
「最初に尋ねてきた若侍は、何れ武辺の士と成るだろう。
しかし後に尋ねてきた者は甚だ心もとない。
もしかして彼が取ったのは拾い首では無いだろうか。
それでもないのであれば、重ねての戦では討たれてしまうだろう。」
そう言ったが、はたして後日、言葉の通りに成った。
鹿之助の申すには、
「私などは初陣、或いは二,三度目の鑓合わせは、
最初の若侍が言っていたように、
震えを生じ、目を開いて向こうを見られるようなものではなく、
ただ一身に向かって突き伏せようとと思い、幸いにも首を取ったのだ。
度々場数を踏んでこそ、戦場の様子も知られるように成るものなのだ。」
と語った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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