あれを麦飯に☆ | げむおた街道をゆく

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永禄6年(1563)、

上杉謙信方の太田資正(三楽)が守る松山城を、

北条氏康と武田信玄の連合軍が、陥落させた時のこと。

その陣はとかくあって4月末になり、

陣夫たちが馬の餌として麦を刈っているところを北条氏政が見て、
家老の松田憲秀に、

「あれを麦飯にして、早々にここに出すように。」

と命じた。

 

武田信玄はこの言葉を聞くと、
「さすが氏政殿は大身であられるので、ご存じないのも道理です。

あれは、先ず扱いて、こなして干して、
搗いてまた干して、その後まづきというものをして、

食せるようになり、これに水を入れよく煮て、
ようやく麦飯と成るのですよ。」

と言った。

北条家の松田、大道寺を始めとした家臣の者達は、

『信玄が氏政を下げずんでいる』と、
恥ずかしく思ったという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 小田原評定・北条氏政、目次

 

 

 

 

 

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