氏康柱☆ | げむおた街道をゆく

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北条氏の拠点、小田原城内には「氏康柱」と呼ばれる柱があった。

 

後北条氏三代目当主の北条氏康が、謀反を企てた家臣を手討ちにした。

書院の間で切り捨てたため、

勢い余って柱に刀が食い込んでしまった。

氏康の家臣達は柱を取り替えず、

柱傷に蓋をして大切に保存し、機会のある事に衆目に披露して、

逆心の無い様に戒めていた。

時が移り、後北条氏は滅び関東には徳川家康が入封してきた。

小田原城は家康の家臣、大久保忠隣の居城となった。

「氏康柱」の話を聞きつけた家康は、

上洛の途中で小田原城に立ち寄り、

柱を見たいと忠隣に所望した。

 

だが忠隣は、

「その柱は書院があまりにも古くなっていたので、

建て替えた時に捨ててしまいました。

氏康の柱より、

武勇に優れると評判の鈴木大学の弓が玄関にありますので、

ご覧下さい。」
と答えた。

 

たちまち家康は不機嫌になり、忠隣を叱った。
「北条氏康と言えば、

早雲、氏綱と言う英傑の後を継ぎ関東八州に覇を唱えた者である。

若き頃は河越にて、

八千の兵にて八万の上杉軍を破ったと謂われる天下の傑物ぞ。

その氏康が斬り付けた刀傷の残る柱を若き武士達が見れば、

武道の励みになる。

それを古びたと言って捨てるとは何事か!

鈴木大学の弓など見たくも無いわ!」

 

忠隣は、ただ平謝りするのみであった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。  

 

 

 

こちらもよろしく

→ 相模の獅子・北条氏康、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!