竹中半兵衛には、若くして弓矢巧者の評判があった。
織田信長の時代、柴田滝川といった人たちは寄り合いで、
「若輩者に何ほどのことがあるだろうか。
いつか竹中に出会った時、弓矢の詮索だてを致せば、
一句も言えずに理に詰まるだろう。」
などと彼を評していた。
そのような折、羽柴秀吉は中国より竹中を使者として、
信長に仔細を言上するため京に上らせた。
柴田たちはそんな寄り合い話をしていただけに、内々に竹中と参会したいと望み、
「ならば招き入れて一献を勧め、そして詮議をも致そうではないか。」
と、竹中を柴田の所へと招待した。
その場において一礼の後、柴田がまず言った。
「この度、中国において毛利家との対陣の様子、
筑前(秀吉)の思惑などを話してみよ。」
竹中聞いて、
「私は筑前殿よりその思惑を承ってはおりません。
何事を申せるでしょうか?」
そういって、それを語ることを辞退した。
すると柴田は重ねて、
「ならば筑前の思惑は差し置き、そなた自身の考えもあるだろう。
御辺の思惑、如何様にこの戦をすべきか、それを語られよ。」
竹中、止むを得ずして、毛利家弓矢の風情、此の方のあしらい方、
双方の考えといったことを、一々に説明し、
「未だ上様(信長)に、筑前殿よりの使いの趣を言上いたしておりません。
先ず御前を済ませたいと思います。」
そう挨拶して出ていった。
その場に居た、
柴田、滝川、丹羽、佐久間といった歴々は竹中の言ったことを聞いて、
「彼は前々に聞いていたより、なお勝っていた。
今日の物語、毛利家のあしらい、弓矢の勘弁、
一つとして難ずるべき所はなかった。
ならば、弓矢の才というものは、
合戦の経験の多い少ないによるものでは無いのだろう。」
そう感じ入ったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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