古より、城より突いて出た後には、
門役を務めることを以って城中の大切と致し、
能く事に成れた侍を以ってこれに当てた。
六条合戦の門役は明智十兵衛(光秀)が務めたこと、人の知るところである。
秀吉が信長の命を受けて金ケ崎に殿として残り、
朝倉中書(景恒)と戦を決した時、
朝倉中書は金ケ崎の城より出て秀吉と戦ったが、
この時、毛屋七左衛門を以って門役とした。
中書敗軍して兵士ら我先にと城を指して引いていたが、
秀吉はその機を失わず追い打ちを仕掛け、門際まで押し入った。
しかし毛屋が素早く門を打ったため、城中つつがなかった。
この事は当時、朝倉の家にて沙汰されたという。
後に秀吉は横山城に居たが、彼が信長への報告のため岐阜に赴いた時、
浅井長政が兵を出して横山城を囲んだ。
この時、城中は以ての外に無勢であったが、竹中半兵衛が居留まり下知したため、
危ういこと無く、むしろ城より突き出て、大いに戦ってまた城に入った。
竹中半兵衛は状況をよく見て、
門役に下知し、早く門を打たせたため、城をよく持ち固めたのだという。
こういった事を詳細に極めない輩には、このような大切の役儀は命じにくいことである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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