毛利元就が、厳島の合戦で陶氏の大軍を破った後、
勢いに乗って次々と陶氏の城を落としていった。
ついには都濃郡須々万まで兵を進めたが、
盆地にある須々万城は、
四方から川が流れ込む沼城で攻めにくい場所であった。
毛利2万の軍勢を2つに分けて、毛利元就が北側の緑山に陣を張り、
息子の小早川隆景が正面から攻めることになったが、
城を守る大将の山崎伊豆守も勇将であったのでなかなか落ちなかった。
弘治元年(1555年)の年末から攻め始めたが、
にらみ合ったまま時は過ぎて、とうとう弘治3年の春となった。
おぼろ月が見える春の夜、城のそばの沼地にあやしい人影が見えた。
なんと水をたたえた沼の上を、一人の若い女が歩いていたのだ。
それを見た攻め手の兵士たちは幽霊ではないかと騒ぎ立てたが、
その若い女は沼の真ん中で立ち止まって、
城へ向けて「おまえさまあ。」と呼びかけ、
「恋う人は 沼のかなたよ ぬれぬれて わたるわれをば とがめたもうな」
と歌を詠んだ。
彼女は城内にいる恋人に会いにきたのである
相手が敵方の女と知った毛利側の兵たちは鉄砲でその女を撃とうとしたが、
大将の小早川隆景はそれをやめさせて様子を見た。
すると城の中から鉄砲の音がして女は倒れて水しぶきがあがった。
味方によって女は撃たれてしまったのだ。
そこへ小早川隆景が大声で、
「みなのもの、見たか。女の通ったところが浅瀬だ。」
と叫んだ。
その声で我にかえった兵士たちは、
女が通ったところに竹のすのこや むしろなどを重ねて道をつくり、
一気に沼を渡って攻め入った。
あれほど守り続けていた城もこの攻撃には耐え切れず、
とうとう須々万城は陥落した。
恋人に会いたい一心だった女の振る舞いが自分や恋人だけでなく、
須々万城まで滅ぼす悲劇を招いたわけだが、
この女性を憎む話は伝わっておらず、
誰もがあわれなことだと噂しあったそうである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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