厳島合戦にて☆ | げむおた街道をゆく

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天文24年(1555)の厳島合戦。

陶晴賢の本拠である岩国に集結した防長豊築四ヶ国の軍勢は、

船数500艘にて、宇賀島を先手として厳島に押し渡った。

岩国勢は次第次第に渡海し、陶入道も塔ノ岡と云うところに陣取り、

もしかすれば毛利勢の後ろ巻きもあるだろうと、

毛利方の籠もる宮尾城を昼夜の区別なく、

軍勢を立ち代わり立ち代わり攻め立てたため、
城中は水の手を掘り切られ難渋し、櫓の下にまで金掘を入れられ、

もはや落城と思うこと度々であった。

この事が城中より毛利元就に注進されると、

元就は廿日市という所に陣取っていたが、

そこから厳島の向かいである火立岩まで打ち出て、

そこで様々に評定を行った。

この時、元就はその三男である小早川隆景を呼び出して命じた。
「その方、どうにか謀って厳島の城に籠もり、城中の兵に、

あと3日落城しないように固く防ぐよう伝えるのだ。

その3日のうちに、必ず後ろ巻をする。」

隆景はこれを聞くと、一言の異論もなく陣所に帰り、漁舟を準備させ、

船に心得のある侍二人を、漁師、釣り人に変装させ、自分は船底に隠れ、

数百艘の周防兵の船の間を、ゆるゆると魚を売りながら通り過ぎ、

磯近くになると、隆景も櫓を押して船を城の岸際に付けると、

城内に駆け入った。

城内はこれに力を得て、喜ぶこと限りなかった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 仁将・小早川隆景、目次

 

 

 

 

 

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