義光と果物☆ | げむおた街道をゆく

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慶長7(1602)年頃、最上義光は大石田から高僧を山形城下に招き、

生前に自分の菩提寺として慶長寺の造営を始めた。

「徳川の天下で最上家も名実共に晴れて大大名の仲間入りである。

ちょっと早い気もするが、町割のついでに菩提寺も作ったっていいだろう。」

叙勲で少将となった義光は家臣や肝入(名主)を通じて、

民らにも振る舞いを行った。

家臣や町民らからも義光に祝いの品が届けられた。

「樽酒ありがとう。お城のみんなで飲ませてもらうぞ!」

「紀伊(坂光秀)、最上蓼漬(漬け物)ありがとう。」

「大学(北館利長)、鮭と林檎ありがとな。」

義光が慶長寺(現・光禅寺)に寄進した屏風がある。

そこには柱の上に棚が渡され、棚から垂れ下がる葡萄の姿が描かれている。
 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 出羽の驍将・最上義光、目次

 

 

 

 

 

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