三条河原で、秀次事件の連座で処斬された女房らの最期を見た者たちが帰路につく中、
京の大名屋敷に泣く泣く帰りつく者らの姿もあった。
京最上屋敷もその一つ。
前夜に荒れた浦山筑後の代わりに使いに出された小者らが戻ると、
最上義光は屋敷の奥に篭り遮二無二に法華経を唱えていた。
使いの者が部屋の外に居るのに気付くと、
「…いかに(どうであった)?」
と声をかけた。
小者らは口を開きかけたがすぐに涙で言葉がうまく言上できなくなり、
歯をかみしめ、たどたどしくも処刑の模様を伝えると、
義光は、
「わかった。苦労をかけたな。」
と言葉をかけ、
「過去の業こそ(因果というものか)。」
と溜息をついた。
小者らは言葉が続かず一礼をして席を外したが、
義光は肩をいからせ腿に拳を突き立て、
「口惜しい、口惜しい。」
と言葉を漏らし、
数日間、食事を摂ろうともしなかったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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