天正8(1580)年頃、
山形の最上義光は、志村九郎(志村光安)に出羽打ちの鎗、青鷹、名馬を持たせ、
徳川家康を頼り安土の織田信長に正式な「出羽守」を認めて貰える様、
謁見を願い出た。
志村光安の弁舌をもって織田信長は、
「地方の事には疎い事もあり、白鳥某が出羽の有力者と勘違いをしておった。
最上『出羽守』義光殿にはすまぬ事をした。」
と、志村光安に多くの土産物を持たせた。
義光、
「それでこれだけたくさんの宝物を貰って来たのか?」
氏家守棟、
「信長公から『出羽守』の正当性を認める書状!
これで当初の目的は果たしましたが、
色々と光安殿は持ち帰りましたな…櫃には兜と鎧…絹に巻物、
目録では他に刀…おお!これは!」
光安が土産として信長から義光宛てに安土から持ち帰ったものの中には、
信長愛用の「光忠」の太刀があった。
この光忠は元は足利義輝の物であったが、信長が頂き、最上義光の手に渡った。
最上家の宝としてこの太刀には「最上光忠」の名が当てられた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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