伊達政宗公は、諸人に大変慈悲深い方であり、仕事を申し付けるのも、
物事に思わぬ過失がないように、
御奉公が進むようにと、気を使ったお仕置きをなさっておられました。
政宗公といえば、他家では鬼神のように認識されていると存じていますが、
家中の者達に対しては、
ついにお顔付が悪しきところを見たことがありません。
私たちは毎日毎夜、寝て起きて御城に詰め、御奉公いたしましたが、
諸人、身分の高いものも低いものも、
御前に罷り出れば、例え立腹しているような時でも、
その気持ちをたちまち忘れてしまいました。
いささかたりとも、御前に有りにくく、御奉公し難い、というような事は、
夢々にもありませんでした。
御前では老若共に、夫々に座興なども言われ、心の中までゆるゆるとくつろぎ、
はりきって御奉公出来るようにと、環境を整えておられたのです。
そして御奉公申し上げた者には、その善悪を評価し、
御知行、御扶持方、御切米、金銀諸道具、
その種類によらず、その時を延ばすことなくご褒美を下されました。
それらも全て、万事御奉公に励むようにと仕掛けられたことなのです。
例えば、御前に人より長く詰めて働いている者には、
「そんなに根を詰めては、もはや気も詰まっているだろう。
裏の方に行って、心なぐさめ休息してから、
また戻ってきてこちらに詰めよ。」
と仰せ下さりました。
また、御前に詰めようとしない者には、その事柄をその者の親類などに仰せられ、
異見もし、
「よく奉公いたせよ。第一それは其の身其の身の為なのだ。
私が家には人材に事欠かないのだから。」
と仰せ下されました。
また或いは、患った様子で詰めているものには、直ぐに御暇を下され、
「養生するように、今日は休息せよ。」
と仰せ下された。
その上で、「そもそも役人などというのは、普通の者よりなお一層気詰まりするものだ。」
と言って、夫々が患わぬように、気の詰まらないようにと、
魚鳥のたぐいにかぎらず、色々と下され、
「以前の体調に戻るまで養生してから、奉公せよ。
何としても、奉公人の患いは其の身のためには、
大きな敵である。」
と仰られました。このように至ってお情けの強い方だったのです。
そんな方でしたので、もし又患った、などと聞かれましたら、
薬師(医師)に仰せ付け、
その者の病状を、身分の高下にかかわらず何者であっても直にお聞き召され、
如何様にも如何様にもと、
末々の者にまで厚くお情けをかけられました。
このような事でしたから、私達諸奉公人は、何があろうとも御奉公であれば、
火の中水の底までもと、
一心に決意し、御奉公をしていました。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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