伊達政宗があるとき、料理についてこの様に言った。
「仮初に人に振る舞いをするときは、料理こそ第一の物である。
どんな時でも、その亭主が勝手に入らず、
もし料理が悪く虫気(食中毒)でも起こすようなら、
その後どれだけ気遣いをせねばならないか。
そうなっては、その人を呼ばぬことよりも、
はるかに劣る事態となってしまう。
昔は誰をもてなしに招待するにも、その人のつてを以って、
嫌うものを聞き届けてから、もてなしをしたので、
非常に心安かったものだが、最近はそういった習慣も無くなってしまい、
気遣いが一層多くなってしまった。
人をもてなす時は、身分の上下によらず、
馳走のために多くの道具を揃えるのは無用である。
さしたる物ではなくても、1,2種求め、それに何か品をつけ、
目の前で料理するか、あるいは亭主自らが料理して盛ったなら、
そのまま座敷に持って出すのがいい。
これこそ一種の、御取り成しと申すものである。
これは何々と言うような珍物を数多く出すよりも、ずっと優っているのだ。
そして食事の場を、涼やかで清潔にしていることが馳走なのだ。
それから、種々様々、百品千品取り揃えて一度に振る舞うよりも、
なんてことのない物、一種二種づつでも、
折々にもてなすことの方が優っているのだぞ。
友は馴れるほど親しくなるものだ、一度に持て成すなどというのは、
仕方なくやる事であり、
その奥意には、その人をおざなりにしている気持ちが有るのである。
これはあらゆる事に当てはまる。
理の無い所に力を入れて、人ごとに、
むやみに我が理を立てようと言い立てるのは、
結局はその者の無分別さ、臆病さが致す所なのである。」
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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