寛永5年(1628)3月12日、
大御所・徳川秀忠は、伊達政宗の屋敷に御成になった。
秀忠は、その日の朝早くに政宗邸に到着。
御数寄屋へと迎えられた。
御相伴衆は曲直瀬道三法印、立花飛騨守(宗茂)、
丹羽五郎左衛門(長重)であった。
この時、政宗は自身で御膳を秀忠に差し上げようとしたが、
そこに秀忠の近習である内藤外記が、土器に箸を一膳持って、
政宗を追いかけてきて言った。
「御膳の鬼(毒見)をしてから、差し上げてください。」
この言葉に、政宗は御膳を数寄屋の入り口に置くと、
内藤に向かって激怒して叫んだ。
「外記はいらぬことを申される!この政宗程の者が御成をして頂き、
自身で御膳を差し上げる上は、鬼をする所ではないぞ!
御膳に毒を入れるなどと考えていたのは、もはや10年も前のことだ!
いや!10年前であっても、日本中の神にかけて!
毒などで殺し奉ろうとは夢々思っておらぬ!
一度は攻め寄せてやろうとは考えていた。」
そう怒鳴っている所に、立花宗茂が出てきて、
「いやいや一段とお似合いのご挨拶です。
上様(秀忠)も感じ入っておられましたよ。
それにしても御膳が来るのが遅くなっています。
さあ、早く。」
そう言ったため、政宗は毒見をさせること無く、秀忠に御膳を差し上げた。
このとき秀忠は、
「さてさて、頼もしきご挨拶かな。」
と、直々に政宗に礼を言い、これには政宗も感動し、
その場に居た諸人も、さてもさてもと感じ入った。
数寄屋での饗しが終わると、御書院に出て能などを見物され、
暮に及んで秀忠は還御された。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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