彼の家臣に、
「顎なし孫右衛門」
とあだ名されていた勇士がいた。
その「加藤孫右衛門」は、高玉城の1番乗りをなして、
城壁へつかまったとたんに、鉄砲弾で顎半分をとばされてしまったが、
そのまま敵陣に踊りこんで獅子奮迅の活躍という勲功の者・・。
その後、彼の旗指物の印が、野猪で生憎と彼の面相と類似してたので、
戦友たちがからかっては笑っていた。
(猪の顎は小さく、かれの欠損した顎の顔に似てた)。
それはやがて政宗の耳にも入った。
政宗は彼を呼び、
「この猪は、殊勲者であるのに、笑われ者になっておるのは、
この髭が余りにも貧しくまばらだからだ。
余が威厳をそなえてつかわすであろう。」
と筆を取って、小旗の猪へ立派な髭を描き足してやった。
勇者多しといえども主君直筆のお墨付きの指物をもっているの者は、
孫右衛門ただ一人、その名誉を敬われ、
以来、誰一人彼を笑う者はいなくなったと言う。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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